祈り

「ギュスターヴ様」
ヴァンはギュスターヴの執務室を訪ねた。
何かと側で使えているヴァンだが、あえて機会を設けてもらったのは彼の決意の表れだった。

「ヴァンか、入れ」

ギュスターヴは豪奢な椅子に腰掛け、ヴァンを見据えていた。
彼の参謀であり、親友でもあるケルヴィンも真剣な面持ちで脇に控えている。
ギュスターヴなりに、ヴァンのただならぬ思いを感じ取ってのことだろう。
予想以上に畏まった席に、ヴァンは身も引き締まる思いだった。

「ギュスターヴ様、身勝手ではありますが…しばらく、近侍術士としてはお暇をいただきたく、お願いにあがりました」

「何…?ヴァン、どうしたんだ!?」
「いえ…今は、幸い争いも少なく、僕でなくても護衛は務まります…なので、一度、旅にでもでて見聞を広げようかと…」
動揺した様子を見せたのはケルヴィンだった。
ギュスターヴは眉一つ動かさずヴァンを見つめている。
「…お願いします」
ヴァンは頭を下げてギュスターヴの視線をかわした。重苦しい空気から、どうにかして逃げ出したかった。
深々と礼をするヴァンに、ギュスターヴは鋭い眼差しを注いだままようやく口を開く。

「構わん。今なら、確かに代わりの者は見つかるだろうしな」
「ギュスターヴ!!」
ギュスターヴは目でケルヴィンを制し、続ける。
「ただ…俺のことはいいとして、ヨハンはどうなんだ?ヴァン」
「彼の病は僕にも治せません。発作が起きたとき、側で和らげることしかできないのです。僕でなくとも…それなりに術が使えれば同じことです」
予想していた問いに、用意していた答えを返す。
努めて平静を装ったけれど、顔をあげることすらできなかった。声も震えていたかもしれない。

「そうか、どう思う?ケルヴィン」
「確かに、ヨハンの病を快癒させるのはどんな術士を以ってしても無理だろうな」
自身も優秀な術士であるケルヴィンは淀みなく答える。
ただ…、と言い募ろうとするのを、ギュスターヴは再び制した。
「体は、な。ヨハンの容態はどうなんだ?」
「ええ…正直なところ、起きるのがやっとだと思います。この間も、血を吐きました」
ヴァンは今朝も見た、中庭で稽古に励むヨハンの姿を脳裏に浮かべながら答えた。
本当は、そんな無理など利かないはずの体なのに。
どうして、無理を…。

「ヴァン、どうして、ヨハンは無理をしているんだと思う?」
ヴァンの考えを見透かしたようにギュスターヴが訊ねる。
「それは…」

「無理、じゃあないからだよ」
禅問答のような答えに、ヴァンは怪訝な顔をしたが、ギュスターヴは構わず続ける。

「ヨハンは、守護者として生きることを選んだ。私…そして、お前のな。護っている、その自覚がヨハンを生かしているんだ。だから、お前がいなくなったりなんかしたら、生きる意義が半減してしまうぞ」

もっとも、俺は護り甲斐がないから半減じゃあすまないかもしれないがな、と付け足してギュスターヴは豪快に笑った。
横でケルヴィンが顔を顰め、こうも奔放に振舞い心配させてくれるのだから護り甲斐には事欠かないと皮肉を言う。
その言葉にギュスターヴは逆に笑みを深め、心配して欲しいんだよ、と居直ってケルヴィンを赤面させるのだった。

そのむつまじい様を見せ付けられ、ヴァンは切なさがこみ上げてくるのを感じた。
自分とヨハンにはない未来。
いつまでも、二人でいたかった。そして二人で年を重ね、笑って死にたかった。
それが、自分の望んだ形でなくても、ただ二人でいられればよかったのに。

離れること。ヨハンに残された短い時を、心穏やかにすごさせてやること。
それが、自分にできる最良のことだと思った。
その一心で押さえつけていた寂しさや未練といったものが、堰を切って溢れだした。

「僕だって…ヨハンと一緒にいたいんです」

嗚咽とともに、本当の気持ちが声になってこぼれる。
仮にも主君たるギュスターヴの前で…なんて、考えている余裕はなく、もう言葉も嗚咽も、そして涙もこらえることなんてできなかった。

「でも、僕が側にいると、ヨハンを傷つけてしまうから…。ヨハンが苦しむくらいなら、僕は何だって耐えられると思ったんです」

執務室が、どうしようもなく広く、そして目の前の二人がどうしようもなく遠く思えた。
ヨハンを失ってしまったら、自分は一人きりなのだろうか。ひとたび考えてしまうと、涙は次々にあふれだす。

「だから…もう、側にはいられないんです」

くずおれるヴァンに、もはやギュスターヴもケルヴィンも何も言うことはできなかった。
静寂の中に、ヴァンの嗚咽だけが響いた。


「ヴァン」

不意に頬に触れた温かい感触に、ヴァンは顔を上げた。

「…ヨハン!?」

潤んだ視界の中で、ヨハンが穏やかに微笑んでいる。
ヨハンは動揺で言葉も出ないヴァンの肩を抱き、立ち上がらせると、優しく涙に濡れた顔を拭ってやった。
そして、ギュスターヴとケルヴィンに向き直り一礼する。
ギュスターヴはヴァンに気付かれぬよう、ヨハンに意味深な笑みをおくった。
ヴァンと同じく、ヨハンの登場に驚きを隠せないケルヴィンは、目端でそれをとらえると訝しげにギュスターヴを見た。
けれど、ギュスターヴは笑みを深めるばかりで、何も言おうとしなかった。

「お騒がせしました」
「ああ、気にするな。ヨハン、身体はいいのか?」
「おかげさまで、今日はとても気分がいいのです。また、改めて伺いますので…失礼します」
「うん。じゃあな」

ギュスターヴは呆気に取られたままのヴァンと、穏やかな笑顔のヨハンを満足げに見送り、ドアが閉まると同時にくるりと椅子を返した。


「いつからだ、ギュスターヴ」
自分もつままれたようで釈然としないケルヴィンは、不機嫌そうに訊ねた。
アニマの気配を消して佇むヨハンの存在に、ギュスターヴはすぐに気付いていたはずだ。
ギュスターヴは笑みを深め、椅子にかけたままケルヴィンを抱き寄せる。
「ギュスターヴ!!」
「…最初から。あいつ、ヴァンと一緒にここに来てたんだよ」
ケルヴィンの非難をものともせず、ギュスターヴは抱きしめる手をゆるめないままに平然と続ける。
「気付いてたんだろ。ヴァンの様子がおかしいって」
「でも…よかったのか?聞かせてしまって」
ケルヴィンは抵抗を諦め、大人しくギュスターヴの腕の中に納まっていた。
ギュスターヴの胸に顔を埋めたまま、不安げに訊ねる。
「よかったんじゃないか、これで二人で考えられるだろ」
「もし、それでもヴァンが出て行くといったら…」
「その時は、その時だ。もう俺たちの出る幕じゃないし、俺はヴァンの意思を尊重する」

彼らがどのような選択をするのか。
それは彼らにしか決められないことだけれど…ヴァンの苦しみに満ちた決意を思い、不意に寂寥感がケルヴィンの胸を衝いた。
自分たちもいつまでこうしていられるかはわからないけれど、始めから時限を定められている彼らにくらべ、どれだけ恵まれていることだろう。
いつも、意地をはってつい蔑ろにしてしまうけれど、今こうしていられる幸せを忘れてはいけないのだ…。

「どうした、ケルヴィン」
頬を撫でるギュスターヴの手に、ケルヴィンは自分が泣いていたことを知った。
「きっと、あの二人なら大丈夫だ。だから、泣くな」
ギュスターヴはそう言うと、おもむろに口付ける。
ケルヴィンは快楽に霞みゆく思考の中で、ただ一つだけを祈った。


――二人の行く末に、幸多からんことを。


C O M M E N T
ギュスケルがお節介しすぎたせいで後半完全に脱線、挙句、3話で終わりませんでした…(´д`)
それにしてもみんな女々しいですね(笑)

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