面影

『どうしたの?ヨハン。僕は君にならどうされたって構わないのに』

蝋燭が僅かに灯った暗い部屋に、ヴァンの顔が仄白くうかぶ。
その艶めいた表情が、記憶の中の、幼さを残した少年の笑顔とはどうしても重ならなくて、ヨハンは違和感ばかりおぼえて視線を彷徨わせた。
少し笑った、その口元にさえ色香が漂っている気がした。

…ああ、嫌だ。こんなのは。
身体は昂ぶるけれど、反吐がでそうだった。
義務のように衣を乱す右手を、当然のように滾る血を、今すぐ焼き尽くし、消し去ってしまいたかった。

ヴァンは縋るように視線をあげて、言った。
『ねえ、愛しているよ、ヨハン』
とどめの一言は鼓膜を甘く震わせて、中心まで熱く蕩かした。
甘い笑みを浮かべる唇に、貪るように口付けると、まるで予想通りとでもいうような、余裕に満ちた愛撫を返される。
やはり記憶の中よりもヴァンは大人で…それは無垢さを失ってしまったということで…自分がかつて愛した存在とは、完全にどこかが違ってしまっていた。
あの少年がただ一つの拠り所だった。
弟のように思って、愛し慈しんできたのに。

擬似的だけれど、初めて得た家族というものの温もりは、気がつかぬ間に、ぬめった薄暗いぬるさにかわってしまった。
自分を男として見る、欲に染まった目。
そして…自分はそれ以上に汚い思いを抱いてしまう…男だ。

本能的な欲望と、真逆に向かう背徳感…相反する両者に引かれて、見る間に世界は歪んでいく。
また居場所を失ってしまったような、そんな感覚にとらわれる。

ヴァンはそっと、ヨハンの首に腕を回した。そして自らの首筋に引き寄せる。
紛れも無い、誘いを込めて。

「…よせ…」
「…えっ?」
ヨハンは苦しげに呟くと、やにわにその腕を外して身体を離した。

「やめてくれ、世界が…」
世界が、壊れてしまうから。
自分を暗闇からひきあげてくれた、あの白く、無垢だった腕が、目の前で黒い欲望に染まっていくなんて…。

堪えきれないように吐き出した、途切れた言葉をヴァンは一体どんな思いできいたのだろう。
ヴァンもまた、すぐに身体を起こすと不安そうな目を向けた。
「どうしたの?」
その目からは先刻の欲望の色は消え、かわって真摯で理知的な光が戻っていた。
「具合…悪い?」
どうやらヨハンの拒絶を、身体によるものと思ったらしい。

近頃、ヨハンはサソリの毒のために床に臥せっていることも多く、ともにギュスターヴに近侍しているヴァンが治療にあたっていた。
治療、といっても結局はその場しのぎにしか過ぎず、症状は進行する一方なのだが。

ヴァンははだけたローブの襟を合わせ、胸元に埋め込まれたツールに手を添えた。
淡い水色の光が灯り、ゆっくりとヨハンの身体を包む。
単なる水の基本術に過ぎないのに、そこらの術士の合成術の比ではない効き目をもつ。
天賦の才もさることながら、弛まぬ努力の成果だろう。
きっと、ヴァンの前途は明るい。
…けれど、その分だけ苦しいものにもなるのだ。
このままギュスターヴの側にいれば、いずれヴァンも争いに巻き込まれることになるだろう。
穏やかで、何よりも争いを嫌う彼とて、覇王の側にいる以上不可避のことなのだ。

ヴァンにかわって手を汚し続けることが出来れば、どれほどいいだろうと思う。
もう、こんな手はいくら汚れても今更かわりはしないし――それに、誰かを護るために汚れるのなら、却って今までの罪が浄化されるような気さえした。

でも、それは許されないのだ。
…もう、自分に残された時は少ない。
それはヨハン自身が一番よく知っていることだった。

身体は癒される、けれど、どこか満たされない思いを抱いたまま、ヨハンはシャツを羽織った。

「ありがとう。…すまない、ヴァン…今夜は、もう帰ってくれないか」
ヴァンは一瞬戸惑い、傷ついたような顔をしたが、すぐにそれを隠して穏やかな表情を作った。
「うん…そうだね、それがいいね。ヨハン、君もゆっくり休んで」
さっとローブを整え、手袋を着ける。
簡単に身づくろいを済ますと、ヴァンは静かにドアを開け、そっと部屋を後にした。
「おやすみ」

下を向いたままの顔が泣きそうに歪んでいたことも、おやすみ、の言葉の最後が震えていたことも、ヨハンは気付いていた。
けれど、どうすることもできなかった。

「…ごめん、ヴァン…」
お前を汚してしまって。
お前まで、こんな暗闇に引きずり込んでしまって。

一人取り残された薄暗い部屋の中、ヨハンは呟いた。
これが、今まで犯した罪の報いなのだろうか?


C O M M E N T
パソコンの底から発見された前半に、後半継ぎ足したもの。
序盤、ヴァンが黒くて衝撃を受けました…何考えてるんだ自分、ヴァンは無垢で天真爛漫な子じゃないのか…!
これはヨハンサイドだったので、ヴァンサイドも作ってまとめたいと思ってますー。
ただヴァンの黒い子像維持するのが辛い(笑)
本当、昔の自分何考えてたんだ…orz

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