さよならは言わない

「ナルセスさーん」

遠くから声を張り上げて人を呼ぶのも、自分は大人だと言いながら、なんだかんだと世話をやかせるところも、実は癖の強い髪の毛も…そんなところも父親とそっくりなリチャードは、かつてのウィルを思わせるような快活さで、私に笑顔を向けた。
軽く挙げた、がっしりとした腕は健康そうに日焼けし、同じ男として妬ましいほどだ。
それはウィルとは違う男らしさを備えていたけれど、指先がささくれて荒れているところはいかにもディガーらしく、やはり父・ウィルの面影があるのだった。

「ああ、よくきたなリチャード」

かつては腰を屈めて撫でてやった頭も、今では見上げるような場所にある。
それでも、あの頃と変わらない笑顔は健在だ。
不精髭を生やして、いくら女を泣かせてみたって、いつまでたっても私にとっては"小さなウィル"の、小さな小さな息子なのかもしれない。
こんなことを言うと、きっとリチャードはむっつりと黙りこんでしまうだろうけれど。
それでも私は、いつまでも"小さなリチャード"がかわいくてしかたがないのだ。

滅多に他人を入れないこの家に、当たり前のように招き入れて、当たり前のようにコーヒーを淹れる。
それをそのまま渡すと、リチャードは嬉しそうに礼を言う。
彼の訪れはいつも唐突だが、私はいつだって彼を迎える準備があるのだ。
待つのではない。約束をするのでも、呼びつけるのでもない。
けれど、いつだって、私たちはここで会える。

そう、少なくとも私は信じていた。
彼が北大陸に渡ったと聞いてからも、いつだって彼がひょっこりやってきて、あの笑顔で私を呼ぶような気がしていた。
記憶の中の、日に焼けた笑顔が歳をとらなくなって久しかったけれど…、それは、私にとって確信にも近かった。

*

彼の命が終わったと知るまで、そう長くはかからなかったと思う。
突如、全身に言いようのない震えが走り、腰が砕けた。
気がつくと、頬が涙で濡れていた。
真白になった頭で一言、リチャード、と名を呟くことしかできなかった。
このとき、何の証拠もないけれど、彼の死を悟った。

その夜か、次の夜か、はたまた次の次の夜か…、ようやく眠りに落ちた私の夢を、彼は訪れた。

『ナルセスさん…すみません』

いつになく神妙な顔で項垂れる彼の頭は、少し手を伸ばせば届くところにあった。
ぐしゃぐしゃ、とかつてのように乱暴に撫でまわしてやろうかと思った。
でも、それはできないのだともわかっていた。悲しくなるだけだから、手を伸ばすのはやめておいた。

『親父をよろしく頼みます』

真剣な声で言った彼は、俯いたまま深々と頭を下げた。

『それが人にものを頼む態度か、こんなときくらいこちらを向け』

顔が見たくて、そう軽く叱ると、リチャードはようやく顔をあげた。
無理に笑おうとして、失敗したようなくしゃくしゃの笑顔。
その顔も、ウィルにそっくりだと思った。

『ナルセスさん…俺…』
『お前は、ウィルの自慢の息子だな』
『…嬉しいです。俺、実は親父が大好きでした』

失敗した笑顔が、ようやく本物の笑顔になった。
涙が頬を伝って、やはりくしゃくしゃの顔をしていたけれど、あの、私が大好きな笑顔だ。

『知ってるさ。お前は、私よりウィルのことが好きな数少ない人間だからな』

私が敵わないと思っているもう一人のことを想い、彼女はリチャードの死を知っているのだろうか、と思った。
リチャード、お前もいい年なんだから意地ばかり張っていないで、こんな時くらいちゃんと会いにいけよ。

『俺…もう、行かなくちゃ』
『ああ、気をつけてな』

泣き笑いの顔を伏せて頷いたリチャードの頭に、無意識に手を伸ばす。
ちょっと迷惑そうな顔をするだろうけれど、ぐりぐりと撫でまわしてやりたくて。
けれど、伸ばした手は残酷に空を切った。
予想はしていた。諦めていたのに。
掻いた空気は冷たくて、心の芯まで冷えるようだった。
薄れていくリチャードの影に、無駄とは知りつつ手を伸ばす。
再び顔を上げた彼は、きっとまだ泣き笑いの顔をしているだろうと思ったのに、穏やかな笑みをたたえていた。

ようやく、救われた気がした。
彼は自身の信念を全うし、なにものにも囚われずに旅立てる。
それはきっと、彼にとって一番の幸いだ。

順は狂ったが、しばらく待ってろよ、リチャード…。

今は影も見えなくなったリチャードに呼び掛ける。
不思議と、胸の中に温もりが灯った気がした。

あの日から歳をとらなかったリチャードの笑顔は、確かに離れていた分だけ歳月を重ねたものになっていた。
ほら、やっぱり、私たちはここで会える。

*

それはかつてないほど、穏やかな目覚めだった。
リチャードが死んだ――その確信は変わらなかったが、彼は悔いなく逝ったのだ、ともわかったからかもしれない。

「ウィル…お前は立派な息子を持って、幸せだな」

伝えるあてのない言葉を、けれど伝わるだろう、とどこかで思いながら呟いた。
どうやら、私はまだまだお前のお守をしなきゃならんようだ。
――それが、リチャードの頼みなのだから。


C O M M E N T
ナルセスさんとリッチの関係は、親子とも友達ともつかない理想的な信頼関係だと(書きながら)思いました。
暗いベクトルにしかむきようがないけれど、それもお互いが相手に正の感情しか向けていないが故のことで。
主題が死の割には明るくまとめられた気がして自己満足してますが。笑
リッチの死後のウィルとナルセスさんのイベントとかあればすごくよかったのになあ、なんて。
どう二人が接したのか、考えるだけでこうグッときませんか…!

こだわりは、ナルがリッチを呼ぶ時は「リッチ」じゃなくて「リチャード」なことです(細かい…)。

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